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伯耆の國の御伽草子

お気楽気ままな高齢者のグダグダ噺

神村肇埜の小説日記

おはようございます。

 

 一昨日、大阪より帰ってきましたが、昨日は疲れが出て、一日何もせずに過ごしてしましました。

 まだまだ、若いと思っていたのですが、やっぱり歳ですかね。

 

 でも、大阪は楽しかったです。大好きな紅ショウガの串カツも食べましたしね。満足しました。

 

 あんまりはりっきて疲れてしまい、今朝はいつもの朝活ブログもお休みを頂いてしまいました。

 

 田舎暮らしの者にとって、大阪の街の中の運転は何かと気を使いまして大変でした。

 

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 でも、初めて吉本の漫才を見てきましたが、大変面白く、テレビで見るより生で見る方が面白いですね。

 

 これは私の全くの私的な考えなのでありますが、何故、映画を見に行くのか?と同じような気がしています。

 

 なにも映画館まで出かけて、その上お金を払って映画をみんな見るのか?家でDVDを見ていても同じじゃないかと言われる方もあります。

 

 しかしですね、家では基本的に一人、または家族で見ることになりますよね。

 

 映画館では、その上映の時には、知らない人たちと同じ映画を見ることになります。その映画を見て感動を覚える時、隣の知らない人も同じように感動していると思います。

 

 つまり同じ思いを共有しているのでは無いかと思うのです。

 

 これが、映画を見ることの面白さになっているのではないでしょうか?

 

 これは野球などのスポーツ観戦も同じですよね。テレビなら選手の表情まで見ることが出来るのですが、野球場ではテレビでは感じることが出来ない何かを感じることが出来ます。

 

 きっとそれは感動の共有なのだと、私は思っているのです。

 

 あらら、今日は出だし、落語でいう「まくら」の部分が長くなってしまいました。

 

 さて、昨日はいつもの朝活も出来ませんでしたが、今朝はまたなんちゃって小説について考えていきたいと思います。

 

 今朝は先日考えましたタイトルについて再考したいと思います。

 

 先日は『無料より高い夢は無い』としたのですが、しかし考えてみると、何も神村少年(歩夢君)は夢を追いかけて、フォークシンガーになろうとしたわけではなく、ただ興味だけで東京での暮らしを始めたわけで、何となくタイトルに違和感を感じてしまいます。

 

 私が書きたいと思っているのは、夢を追いかけた青年の失敗ではなく、昭和五十三年に東京で暮らしていたひとりの学生の平凡な生活を書きたいと思っているのです。

 

 まだ世の中のことをよく知らない、田舎者の歩夢君の、どこか間の抜けた、平凡な一日を書きたいと思っているのです。

 

 ですから、タイトルももっと平凡な学生の一日にあったものにしたいと思うようになってきました。

 

 そうなのです。テーマは何とか、訴えたいことは何だとか、そんなことは何も無く、ただただ平凡な青年の一日の出来事を書いてみたいと思っているのであります。だから、歩夢君の平凡な一日には殺人事件も起きないし、テロも起きないのです。目が覚めて、学校に行って、アルバイトをして、飯食って寝る。それだけのお話を書きたいと思っているのです。

 

 ですから、タイトルに関しては、もう少し考えてみたいと思います。

 

 それから、いつも失敗するのですが、お話を進めるうちに、どんどんキャラクターにいろいろな要素をくっつけてしまい、お話のはじめの人物と途中の人物がなんとなく違ってきてしまうことが多々あるので、今回はこのキャラクターの設定も初めにしっかりとしておきたいと考えているところであります。

 

 いま考えて制作しておりますのは、キャラクター設定シートを作りまして、なんちゃって小説の中で書いたキャラクターのことをメモのように残しておきたいと思っております。

 

 そのようなことは、小説を書いておられる方はみなさんすでに実施しておられることではないかと思いますが、なんちゃって小説一年生の私はこれから始めてみたいと思っているのであります。

 

 と言うことで、今朝は家の周りを散歩してみましたが、すっかり秋らしくなって、夕方には、裏の田圃の稲刈りが始まりました。

 

 皆様、季節の変わり目でございます。お体には十分気を付けて頑張って下さい。