伯耆の國の御伽草子

お気楽気ままな高齢者のグダグダ噺

神村肇埜の小説日記(立ち喰い蕎麦は背徳の旨味)

 

おはようございます。今朝はちょっと遅めの更新です。

 

毎朝、食べ物の事を書いておりますと、一日中なんだか食べ物が気になってしまいます。このままでは、精神的糖尿病になってしまいそうです。

 

と言いながらも、今朝も食べ物について考えております。

 

私の好物は何かと考えてみますと、それはもうたくさんありまして、反対に嫌いなものもたくさんあるのですが、一番何が好きかといわれましても、これでございますというものがありません。

 

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【地球最後の日に食べるもの】

 

良く、地球最後の日に何が食べたいかなどという質問があったりいたしますが、そのような事を聞かれましても、私は食べたいものがありすぎて、1日では食べきれないので、最後の一週間か、一ヶ月間にしてほしいと思っているのであります。

 

まあ、私の好物を聞きたいと言う方もいないとは思いますが……。みなさんはいかがでございましょうか?

 

【大好きでも無いけど、大好きなもの】

 

しかしなんですね、別に好きでも無いのに、何となく食べたくなるものってあると思いませんか?

 

例えば牛丼、確かに美味しいし、嫌いではない。でも地球最後の日に食べたいとは思わない。牛丼よりもっと食べて死にたいものはたくさんあるって思ってしまいます。

そのようなものの一つに、立ち喰い蕎麦ってありませんか?

 

あの駅の周辺にたくさんある、安くて早い、立ち喰い蕎麦です。別に立ち喰い蕎麦を地球最後の日に食べたいってお方は少ないのでは無いでしょうか。いや、これも好みの問題でありますので、地球最後の日は立ち喰い蕎麦を腹いっぱい喰って死にたいというお方がおられてもいいんですよ。ええいいんですよ。

 

でも、私は地球最後の日には、もっと別の物が食べたいと思うに違いないと思うのであります。

 

【立ち喰い蕎麦は背徳の旨味】

 

そんな別に大好きでも無い立ち喰い蕎麦なのでありますが、なぜかお店の暖簾を見ますと無性に食べたくなるのはどうしてでしょうか?

 

朝ごはんを食べて来ているのに、あの立ち喰い蕎麦屋の暖簾を見ると、お腹が減っているわけでも無いのに、お店に入りたくなるのはどうしてでしょうか?

 

私をはじめとして、多くのお方は、立ち喰い蕎麦に大きな期待をしているお方はいなのでは無いかと思います。

 

あの、おそらく蕎麦粉の少し入った小麦麺に蕎麦の香りやこしを期待することもなく、おそらく化学調味料がいっぱいの出汁に本格的なカツオ出汁の旨味を期待する人はいないのでは無いかと思うのであります。立ち喰い蕎麦と言うと天ぷらなのでありますが、立ち喰い蕎麦の天ぷらというとかき揚げであり、玉ねぎの中に時々何か玉ねぎ以外の何かが歯にあたるとなんとなく嬉しいかき揚げで満足し、誰も立派な天然エビの天ぷらを期待する人はいないと思うのであります。誰も何も期待してはいない立ち喰い蕎麦に、私はどうしてあんなに魅力を感じてしまうのでしょうか?

 

これは私なりに考えて見ますと……、

 

話は横道に逸れますが、みなさん、誰かに隠れてやることって、何となく楽しいと思ったことはありませんか?

妻に隠れてアマゾンで買うフィギア、高校生の時に親に隠れて買ったエロ本、痛風で呑んではいけないけど隠れて呑むビール、ダイエットのためのウォーキング中に買って食べるコンビニの唐揚げ、はたまた妻に内緒のスナック通い、究極には不倫。どれもこれも人に内緒の、背徳の楽しみなのではないでしょうか。

 

私は立ち喰い蕎麦もこの背徳感が魅力なのでは無いかと思うことがあります。

 

妻と一緒に朝食を食べても、いくら病院の先生から、塩分の摂り過ぎに注意しないさいと言われても、でっぷりと出たお腹をなんとかしないといけないと思っていても、誰も見ていないから大丈夫と食べる立ち喰い蕎麦。この背徳感が化学調味料の出汁にも、玉ねぎだらけの天ぷらにも無い、何にも増して旨味となっているのでは無いかと思うのであります。

 

それが証拠に、立ち喰い蕎麦屋で蕎麦を食べている人の多くは、なぜか無口で下を向き、蕎麦を受け取ると、できるだけ店の隅っこに行きたがり、猫舌にも関わらずそそくさと時間をかけずに蕎麦を喰い店を出る。そして店を出るとみんな、私は立ち喰い蕎麦は食べていませんよといった顔をして出勤する。もちろん会社でも立ち喰い蕎麦を食べて来たなど口にはしない。立ち喰い蕎麦を食べたことは内緒なのであり、その内緒の背徳感が立ち喰い蕎麦の旨味を引き上げているのでは無いかと思うのであります。

 

私はこの隠れて食す立ち喰い蕎麦が大好きなのであります。

 

【立ち喰い蕎麦の思い出】

 

以前、仕事で東京に出張していましたが、出張で東京に行くと必ず食べに行った立ち喰い蕎麦屋さんがあります。

 

実は「酔死体 佐良利男の暗闇」の中で、利男さんが勤めている会社は、東京駅から八丁堀の方へ歩いたところにある雑居ビルに設定いたしました。私は以前その辺りに行くことが多く、そこには「そばのスエヒロ八丁堀店」という立ち喰い蕎麦屋がありました。いや今でもあるのではないかと思います。

 

私はこの「そばのスエヒロ八丁堀店」の蕎麦が大好きでございました。

 

この立ち喰い蕎麦屋「そばのスエヒロ八丁堀店」の特徴と申しますと、豊富な種類の天ぷらでありました。今思い出してみましても、春菊、玉ねぎ、いんげん、ちくわ、ソーセージ、コロッケ(コロッケが天ぷらかと言う問題はありますが、今回は天ぷらということで)、ゲソ、そしてエビ、その他にもたくさんの種類の天ぷらがあり、店内の壁は天ぷらのメニューの張り紙がたくさん張ってあり、また揚げたての天ぷらがカウンターの上のケースの中にずらっと並んでおりました。

 

その天ぷらの中で私が特にお気に入りだったのは、ゲソの天ぷらであります。小指くらいと言うと気持ちが悪いので、大きめに切られたゲソがたくさん入った、衣がカリカリでゲソがコリコリのゲソ天が最高でありました。

 

当時、店は二人のおじさんが切り盛りしていました。背が高く体格もガッシリとしたいかつい顔のおじさんはいつも店の奥で天ぷらを揚げていました。もう一人のおじさんは小柄でちょっと太めのスキンヘッドであり、カウンターでお客さんの注文をさばいておりました。

 

今はどうかわかりませんが、当時の注文の仕方は至ってシンプルで、開け放たれた店にはいると、まず蕎麦かうどんを選びます。東京という土地柄、お客さんのほとんどは蕎麦を注文していました。山陰出身の私はうどんも好きでしたので、いつでしたかうどんを選びましたところ「えっ」と驚かれたことを覚えております。

「そばのスエヒロ八丁堀店」の蕎麦自体はそれほど特筆するような蕎麦でもなく、また出汁も立ち喰い蕎麦特有のちょっと濃い目の出汁で、しかし何処にでもあるような、特筆するような出汁ではございませんでした。

 

店に入ると

「蕎麦」と一言、そして間髪を入れずに

「ゲソ、ソーセージ」と自分の好みの天ぷらを注文します。

天ぷらは好みで、幾つでものせてくれました。

カウンターのスキンヘッドのおじさんは、「蕎麦」と聞く前にすでに蕎麦を手にとっており、「蕎麦」の声と同時にポイの中に蕎麦を放り込んで茹で、というより温めて出汁をかけると、お客さんが注文した天ぷらを丼にのせてカウンターに出してくれます。その間、ほんの十秒から二十秒であったと思います。

代金と引換に蕎麦を受け取るのでありますが、中には山のように天ぷらをのせている強者もおりました。

 

私はいつも蕎麦、ゲソ天を軸にして、その日の気分でその他の天ぷらを頼んでいたのであります。

私はこのゲソ天が大好きでありまして、ゲソ天の衣のカリカリ、そしてゲソのコリコリ、蕎麦のズルズルの食感を楽しんでおりました。そしてゲソ天が出汁に浸ってきますと、カリカリはやがてヤワヤワになり、今度はヤワヤワ、コリコリ、ズルズルを楽しむのでありました。

今でもあのゲソ天のカリカリ、コリコリ、ズルズル、ヤワヤワ、コリコリ、ズルズルを最高だったと思いだし、私はこのために東京に出張に来ているのではないかと思うほどでありました。

 

ああ、立ち喰い蕎麦が食べたくなりました。

 

【そして鬼平犯科帳の蕎麦】

 

そうそう、蕎麦と言いますと、鬼平犯科帳のエンディングか何かで出てまいります、雪が降る中で蕎麦を食べているシーンがありますが、あれもまた魅力的なシーンであると思うのは私だけでしょうか。

 

今日はこの辺で、