猩々の乱 そのに
電話を切ると僕は慌てて部屋を片付けることにした。
家内は僕が休みの日は仕事なので、休日と言うと僕はいつも一人で過ごしている。休日は大抵パジャマで一日を過ごすことが多く、パジャマでスナック菓子をボリボリ食べながら、ゴロゴロとテレビを観て過ごしているのが僕の休日なのだ。だから部屋が散らかっていてもちっとも気にならない。
しかし統括本部長が来ると言うのだ、いくら狸野郎のクソ親父でも本部長は本部長だ。部屋くらいきれいにしておかないと失礼と言うものだ。というわけで部屋を片付けた。
部屋が片付くと今度は近くのスーパーにお菓子を買いに走った。
どうせろくな用事では無いと思うが、それでも統括本部長様が来られるのだ、お茶くらいは出さねばならないだろう。そしたら菓子のひとつも要るだろうと思ったわけだ。どうせ狸野郎に食わせるのだ、高級な安物のお菓子で十分だ。第一狸野郎は普段ろくなもんを食っていない。高級はお菓子も安物のお菓子も見分けがつかないに違いない。
僕はスーパーで安物のケーキを三個買って帰って、大林さんが来るのを待つことにした。
大林さんの約束通り、およそ一時間後に僕の家に二台の車が止まった。
あれ?大林さん一人じゃ無かったのか?僕はさっきスーパーでケーキは二個でいいかと思ったが、それでもと思い三個買って置いて良かったと思った。
窓から様子を見ていると、車からは大林さんと、島根県支部の磯野さん、そして磯野さんの奥さんがおりて来た。
ありゃ、ケーキは三個でも足らなかったか、仕方がない、僕は我慢しよう。などと考えながら玄関のチャイムが鳴るのを待った。
待つまでもなく、ピンポーンとチャイムが鳴った。
「いらっしゃいませ、おや磯野さんもご一緒でしたか?」
僕の問に大林さんが
「いや、急におじゃまして申し訳ない。さっきまで磯野さんと打合せをしていたんだが、私が神村さんのところに行くと言ったら、磯野さんも一緒にと言われるので、一緒にきました」
磯野さんも
「おじゃまでしたかな?」
「いえ、そんなことはありません。僕も今日は何も用事がなくて暇していましたから、かまいませんよ。それより玄関ではなんです。早く上がって下さい」
と僕が言う前に、大林さんも磯野さん夫婦も靴を脱いでいた。
リビングの椅子に腰掛けると、大林さんと磯野夫妻は
「しかし磯野さん、今日のお昼にごちそうになった、あの店のラーメンは美味しかったな」
「いろんなグルメ本に載っているんですよ。家内といつも話すんですがね、私は並んでも食べる価値があると思いますよ」
と磯野さんが話すと、横から奥さんが
「そうなのよ、お店の中も綺麗だし、店員さんも感じいいイケメンだし」と付け加えた。
なんだ、わざわざお昼に食べたラーメンの話をしに来たのか、そんなことじゃ無いだろう、だいたいこの二人は狸に狐だ。何を企んでやって来たんだ。早く話さないか。
「あのう、ところで今日はお二人そろって何の御用で?」
「まあまあ、ところで神村さん、今年の大阪での全国大会は欠席でしたな?」
「すみません。いろいろ用事が重なってしまって……」
「いや、そりゃ皆さん、それぞれお仕事も持っておられるし、忙しいでしょうから、気にすることは無いですよ。しかし磯野さん、大阪大会は盛大でしたな」
「関西ブロックの上河内本部長は、各方面に顔が聞きますからね。企業や何やらから寄付をたくさん集められるみたいで。金に糸目は付けない大会でしたな」
「いやぁ、あそこまで派手にやられると次にやる者が大変だ」
「本当ですな。今年は関西ブロックが開催したので、二年後は中国ブロックになりますかね大林さん?」
僕は何となく今日この二人が雁首揃えてやって来た理由が見えて来たような気がしていた。と大林の狸親父が
「ところで神村さん、鳥取県支部では、毎年県内の会員を集めて猩々シンポジウムを開催しておられますよね」
「はい、毎年十月に総会を兼ねて開催しております」
「猩々シンポジウムには、会員以外にも県の行政の方や、大学からも参加者があると聞きますが?」
「はい、幸い県の地域芸能保存課の協力もありますし、大学の伝統芸能保存サークルの学生さんも協力してくれます」
僕はちょっと自慢気に答えた。これがいけなかった。
「神村さん、折り入ってお願いがあるんだが。二年後の全国大会は中国ブロックが当番になる」
「はあ……」
「中国五県のどこかで開催しないといけないんだが、鳥取県意外の四県には鳥取県のような県や大学にコネをもっている者がいないんだな。毎回、全国大会は開催県の知事に祝辞を貰ったり、大学やら地域芸能保存会などの有力者を来賓に招いて開催している。どうだろうか、二年後の全国大会を鳥取県で引き受けてはもらえんじゃろうか?」
きたー、そんなことだろうと思った。僕は二つ返事で答えるのも何なので
「いやぁ、そう言われましてもね、鳥取県で開催している猩々シンポジウムなんて小さな会ですし、全国大会のような大きな大会を開いた経験も僕は持っていないし……」
とここまで話すと、急に大林さんが、
「今日はそんな話をするつもりじゃ無かったので、何にも用意できんかったが……また奥さんとお茶でも飲んで……」と言いながら土産の袋を差し出して来た。
何だ、どうせその辺の土産物屋で買ったに違いない、どこにでも売っているような饅頭じゃないか。こんなもんで僕が釣れると思っているのかと僕は思ったが、
「大林さん、気を使ってもらっては困ります。でも全国大会となると……」
「いや神村さん、鳥取県支部で全部やってくれとは言わん。鳥取県は会場さえ確保してもらえば、後のことはみんなで協力し合ってやればいい。事務的なことやなんかは、わしらに任せて貰えばいい。鳥取県支部の方や神村さんには迷惑はかけんから、どうだろうか?」
「はあ、といわれましても」
僕はこの時まだ計画を思いついていたわけでは無かった。ただ何となく、引き受けてもきっとうまくいかないようには感じていた。そんな不安げな僕に磯野さんが
「神村さんなら出来ますよ。毎年の猩々シンポジウムは評判がいいと聞いちょうますけん。みんなで手伝いますから……」
何を言っているんだ、僕はお前の言うことが一番信用出来ないんだよ。と思っていると今度は奥さんが
「神村さん一人でやる必要は無いわ。みんなでやればいいのよ。大丈夫みんなでやればきっと出来るわよ」
やかましい、お前も信用出来ないんだよ。僕は鳥取県支部の支部長を引き受けてから、大林さんのことも磯野夫婦のこともずっと見てきているけど、磯野夫婦は口だけで、行動が無いことくらい、よく知って要るんだ。みんな《口だけどんぐりの大ぼら磯野》って呼んでいるのを知らないのか?
「話はわかりました。でも本当に協力していただけるんですね」
「ああ、約束します。神村さんには迷惑はかけません。どうじゃろうか?引き受けてもらえんじゃろうか?」
僕は引き受けてもきっと失敗するって感じていた。しかし失敗すれば誰かが責任を取らないといけなくなるに違いない。もしかしたら……
「わかりました」
と僕は小さな声で答えたのであるが、大林の狸は僕の声の何百倍の声の大きさで
「引き受けて貰えますか。助かります。来た介がありましたな、磯野さん」
「ああ、神村さんに引き受けて頂ければ二年後は安心だ。私らも協力すので、安心してください。みんなで協力してやりましょう」
「私たち女性軍も頑張らないといけないわね。精一杯頑張るわ」
続く