伯耆の國の御伽草子

お気楽気ままな高齢者のグダグダ噺

井荻物語

 おはようございます。

 

 台風は過ぎ去ったと思うのですが、風の強い朝です。窓の外でヒューヒュー言っています。

 

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 さて、昨日は『無料より高い夢はない』の登場人物を考えたのでありますが、考えてみると、私が東京で暮らした昭和五十三年には、東京は一千万都市であったように思います。

 しかし、私がその中でであった人は、両方の手で数えることが出来るくらいの人数でしかなかったのかと思うと、なんだか寂しいような気がしてきました。

 

 確かに朝夕の通勤の時などは、無数の人々とすれ違うのですが、全部知らない人ばかりなんですよね。

 

 でも一度だけですが、ディスコのアルバイトで新宿でビラ配りをしている時に、中学の時の同級生と出会ったことがありました。

 

 考えてみると、あの雑踏の中で、田舎の中学の同級生と出会ったのは、すごいことだったのかも知れませんね。

 

 と言うことで、昨日は廻道歩夢君を取り巻く人たちについて考えてみましたが、今朝は歩夢君が暮らしている舞台について考えてみたいと思います。

 

 実際に私は、東京都杉並区下井草で生活をしていたのですが、歩夢君も下井草の近くで生活をしてもらおうと思います。

 

 なぜならば。当然のことではありますが、私が書けるのは、私の記憶にあるところしかかけませんからね。

 

 でも、私としては下井草より、井荻の方が好きだったので、歩夢君には井荻で生活をしてもらおうと思います。

 

 井荻の駅前の商店街が歩夢君の生活テリトリーとしたいと思います。

 

 私の記憶の中にある井荻の商店街は、東京の何処にでもあるような、普通の商店街でした。

 

 最近テレビ等で取り上げられる商店街がありますよね。いつだったか戸越商店街がテレビで紹介されていました。

 

 実際、私も当時、戸越商店街で生活している人と知り合いで、何度か行ったことがあるのですが、テレビで紹介されるたびに懐かしく思い出します。

 

 しかし、井荻の商店街は、私が知る限りではテレビ等で紹介されたことは無く、第一井荻と言っても、杉並で暮らしている人の中でも知らない人もいるのではないかと思うくらいマイナーなところでは無いかと思います。

 

 井荻の皆さん、失礼なことを言って申し訳ありません。

 

 井荻の商店街は、駅を中心に東西に伸びていたと記憶していますが、井荻駅の西側を環状八号線が南北に通っており、商店街はなんとなく東側と西側に分かれていたような気がしております。

 

 西側の商店街はなんとなく古めかしく、私が生まれた頃の、そう映画三丁目の夕日に出てくるような商店街だったような……

 

 東側の商店街は、新しく、若者が多かったような気がしています。

 

 そうそう、東側の商店街の外れに、みなさんの中には覚えている方もあると思いますが、『少年チャンピオンに当時連載されていた、鴨川つばめマカロニほうれん荘というギャグマンガがありました。

 

 その漫画の中に『アップルハウス』という喫茶店が出てきたのですが、その喫茶店そっくりの喫茶店が井荻の商店街にありました。(そう思ったのは私だけかも知れませんが)

 

 私はきっと、この周辺に鴨川つばめのアトリエがあるに違いないと探したことがあります。

 

 話が横道にそれそうなので、もとに戻したいと思います。

 

 ということで、歩夢君には、井荻商店街、それも東側の商店街の中で暮らしていただくことにいたします。

 

 となると、なんちゃって小説のタイトルも『井荻物語』に変更しようかと思いましたが、『井荻物語』では、なんだか純文学のような敷居の高さを感じますので、やめにいたします。

 

 今朝はここまで

歩夢君と愉快な人々

 おはようございます。

  

 ここ伯耆の国は、昨晩は台風の影響ですごい風でしたが、今は台風も過ぎたようで静かな朝でございます。

 

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 さて『無料より高い夢はない』とタイトルと主人公(私の分身)の名前までは決まりました。と、ここで主人公の名前ですが、回道の“回”の字を“廻”に変更したいと思います。“廻”の字の方がなんとなく、まわりみちって感じなので、変更です。これからもこのような思い付きの変更は大いにありでございますので、ご了解ください。

 

 それでは今日は、廻道君の周りの人たちについて、考えていきたいと思います。

 

 まずはやっぱりマドンナです。映画『男はつらいよ』でも、毎回マドンナが登場しますので、毎回とはいきませんが、廻道君にもマドンナを作ってあげたいと思います。

 

 廻道君が憧れるマドンナの一人目は

『裕子さん』です。

裕子さんは、廻道君がいつも行く定食屋さんの娘でお店を手伝っています。

身長は廻道君より高く、モデルのようなスタイル抜群ですが、バツイチです。廻道君は裕子さんに大人の女性を感じて、あらぬ妄想にかられるのです。

 

 マドンナの二人目は

『加奈子さん』です。

加奈子さんは、廻道君の高校の同級生で、もてない廻道君のことを何故か好きになってしまう、絶滅危惧種のような存在です。

 

 マドンナの三人目は

『高杉 翳(かずみ)』さんです。

高杉さんは、廻道君の初恋の人です。今回のなんちゃって小説に登場の予定は現在のところありませんが、廻道君にとっては大切な人なのです。

 さあ、マドンナに関しては三人も決めればいいかと思います。いや、三人もいるなんて、もったいない話です。実際の私にはいませんでした。この辺が、小説のいいところですね。

 

 次に、裕子さんのご両親。つまり定食屋さんのご夫婦です。

神田川 流』さんと

神田川 克子』さんです。

 神田川流さんは、明治の終わりの生まれで、若いころは身体が弱く、病気がちであったため戦争には行きませんでした。流さんのお父さん、つまり裕子さんのお爺さんが、小さな食堂をやっており、流さんは克子さんとの結婚を機にその食堂を継いで、定食屋と下宿屋を経営しています。克子さんは、おおらかで面倒見のいい女性で、なにかと廻道君のことを心配してくれます。定食屋さんは、流さんがお父さんから継いだ時に、克子さんの名前から、『かっちゃん食堂』と改めました。

 

 裕子さんのご両親を決めたので、今度は歩夢君の両親です。

『廻道 進』さんと

『廻道 磨子』さんです。

進さんは、中学をでると、町の工場で働きだして磨子さんと結婚するのですが、酒癖がわるく、あまり仕事にもいかないでぶらぶらとした生活をしていました。そのため磨子さんが町で雑貨店を営んで生活を支えていました。ある日進さんは、歩夢君がまだ磨子さんのお腹の中にいる時に、

「でかい仕事をして、みんなを見返してやる」と家を出てしまいます。結局、何もできずに帰って来るのですが、進さんに愛想を尽かして、磨子さんは離婚してしまいます。その後生まれてきた歩夢君を一人で育てるのです。

 

 その他、廻道君のアルバイト先の

社長、店長、先輩、同僚を登場させたいと思っています。

 

 あまりたくさんの登場人物を作ってしまいますと、もともと計画性のない私のなんちゃって小説ですので、とっちらかって収拾がつかなくなりますので、これくらいの登場人物がいいかと思うのであります。

 本当はもっと細かくキャラクター設定をした方がいいのではないかと思うのですが、それは、また明日以降で決めていきたいと思います。

 

 こうして、ああでもない、こうでもないと考えている時間が私にとって楽しい時間でありますので、ゆっくりと考えていきたいと思っているところなのです。

 

 今朝はこのあたりまで

さあ、タイトルを考えたいと思います。

 おはようございます。

 

 十月に入って何となく涼しく感じるようになったのは、私だけでしょうか?

 

 山陰に台風が近づいているとのことですが、静かな朝です。

 

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 さて昨日、私のなんちゃって小説の主人公は、回道歩夢(まわりみちあゆむ)君に決めましたが、今朝はなんちゃって小説のタイトルを考えてみたいと思っております。

 

 余談ですが、私は何かを始める時は、必ず格好からでして、例えば釣りを始めると、まず釣り竿を始め、釣りに着て行く洋服や靴に至るまで、道具を揃えないと気が済みません。模型を作る時も、いつ使うかわからない道具まで買い込んで、まず一式を揃えないといけない主義でして、ですから私のなんちゃって小説も、タイトルはおいおい後でではなく、決めておきたいのです。(後で気が変わって変更は、大いにありありです)

 

 と言うことで、タイトルに関して考えてみたいと思います。

 

 まず、カッコいいタイトルがいいかと思うのですが、

 

 皆さんの意見を募集します。はい、あなた

 

 なになに

 

『僕の名は』

おいおい最近大ヒットしている映画のパクリではないかい。だいたい僕の名は何て今更聞かれも、昨日、歩夢君だと決めたではないか。

 

『井荻食堂の事件簿』

なんちゃって小説の中で、殺人事件は起こす気はないよ。それにトリックも思いつかないよ。

 

『S53』

昭和五十三年頃の話だから、S53。なんだかカッコよすぎやしないかい。S53の意味が昭和五十三年じゃ、当たり前すぎて面白くないんじゃないかい。

 

『永遠の53』

歩夢君をゼロ戦には乗せないよ。それに特攻もさせないから。

 

『回道歩夢の捕り物控え』

だから昭和五十三年なんだってば。どうして江戸時代になっちゃうんだい。それに何度も言うけど、殺人事件は起こさないからね。

 

『HIGH & LOW』

あのね、回道君はただの専門学校の学生さんなの。オートバイに乗ったりしないのね。もう一度考えて。

 

『御墓村』

だから~、舞台は東京なのね。山の中の寒村のお話じゃないの。それに、もう一度言うけど、殺人は起きないの、三十二人も殺さないの。わかった。

 

あのね、みなさんもう少し真面目に考えていただけませんか?

 

 何も好き好んで、朝の三時に起きてパソコンに向かっているわけじゃないんです。私は老後は、小説などを書くことを趣味にしたいと夢を見ているんです。定年後は日がな一日を、硯に向かいて、心にうつりなくなくよしなしごとを……の世界でのんびりと暮らしたいのです。

 

 えっ、そんなの夢だって。いいじゃないですか。夢を見るのは無料(ただ)なんですから。

 レンタルでDVDを見るとお金がかかりますが、夢ならいくら見ても、お金はいらないですからね。でも、夢がレンタルできたら面白いかも知れませんね。

(あれ、これ面白うそう。小説ネタになるかも)

見たい夢を借りてくる。その夢が面白くて、返すのを忘れて、延滞金を取られたりして。結局高くついたりしてね。

 

 回道君も夢を見ていたひとりなんです。それも高くついた夢を見ていたんです。

 

 なので、なんちゃって小説のタイトルは

 

『無料(ただ)より高い夢はない』

としたいと思います。まあ、内容も決まっていないので、後々変更は大いにありですけどね。

 

 では、頑張ります。

回道 歩夢君のこと

 おはようございます。

 

 昨日、仕事に行って気が付いたのでありますが、もう上期が終わったのですね。現役バリバリの時には、上期の売り上げがどうのこうの、下期の目標はどうのこうのと、四半期ごとに神経をとがらせていたものですが、最近は毎日がだらだらと過ぎており、そのような感覚が無くなってきました。

 

 さて、ここ何日間かに渡りまして、私が東京で暮らしたことと、今の仕事に就いたことを、思い出しながら書いてまいりましたが、せっかく四十年前の私のことを思い出しましたので、これを何とか小説らしいものに書けないものかと考えております。

 

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 小説と申しましても、そこから何かを訴えたいとかという大げさな物ではなく、なんちゃって小説を書いてみたいと考えているのでございます。

 

 私が私のことを書くのですが、私が四十年前のことを思い出すというお話ではなく、四十年前の今として書いてみたいなと考えておりますが、なんせ四十年前のことでありまして、私の記憶も正確ではありませんし、また四十年後に私の生活を書いてやろうなんて、当時考えて生活していたわけでもありません。

 

 もし考えておりましたら、写真をたくさん撮っておいたと思いますが、今のように携帯で簡単に写真が撮れる時代ではございませんでしたので……(言い訳でございます)

 

 ですから、どれくらい当時のことが描けるのかは、少々と申しますか、大大不安があるのであります。

 

 それに出来るだけ私の懐かしい思い出話ではなく、当時の私を、私が客観的に見たお話が書けたらいいなと思うのであります。

 

 そうなってくると、私で書きます一人称ではなく、私のことを彼とか、名前で呼ぶ三人称で書いたらと考えております。

 

 うん、そういうことにしましょう。

 

 そうなりますと、まずは四十年前の私を作りたいのでありますが、まずは名前を決めてあげたいと思います。

 

 私の名前、神村 肇埜をそのまま使うのは、あまりにも芸がありませんので、何かいい名前を付けてあげたいと思います。

 

 最近のテレビドラマなどを観ておりますと、結構ユニークな名前の登場人物が多いので、私も例にもれず、そのようなユニークな名前を考えてみたいと、密かに考えているのでございます。

 

 本当は私の憧れ、あの名曲『神田川』とあの名作『前略、おふくろ様』の主人公の片島三郎から頂いて、名前を『神田川三郎』としようかと思ったのですが、なんだが演歌歌手のような感じだし、カッコよすぎるので却下いたしました。

 

 また、私はいつも失敗ばかりして、転んでばかりの人生でしたので『下坂 蘚流』(くだりざかこける)にしようかなんて思いましたが、“蘚”の字がカッコいいので、この名前も却下といたします。

 

 やっぱり、私の今までの人生を表すような名前が無いものかと考えましたが、先ほども申しましたように、私の人生は失敗の連続の回り道でしたので、苗字は『回道』(まわりみち)にしようかと考えたのであります。

 

 さて、そうなると私はその回り道を全速力で駆け抜けてきたわけではなく、ゆっくりと歩いてまいりましたので、名前は『歩』(あゆむ)がよろしいのではないか、いや私にも『神田川』や『南こうせつかぐや姫』のようになりたいという夢もありましたので、歩の一文字ではなく、夢を追って歩いた『歩夢』と書いて(あゆむ)と読ませたらどうかと思っているのでございます。

 

という訳で、私のなんちゃって小説の主人公は『回道歩夢』(まわりみちあゆむ)君に決定したいと思うのでありますが、

 

賛成の方は挙手をお願いいたします。

 

はい、賛成多数で、『回道歩夢』君に決定といたします。

 

 それでは次に内容は後回しにして、なんちゃって小説のタイトルを考えたいと思いますが、タイトルはまた明日の課題とさせて頂きたいと思います。

和歌山ラーメン

 

  おはようございます。

 

  さて、またまた今日から一週間、お仕事でございます。おそらく、多くの皆様もそうではないかと思いますが、一週間で一番、憂鬱な日であります。

 

  昨日は和歌山を旅行してきた知人から、おみやげに和歌山ラーメンを頂きました。

 

 

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 ジャーン和歌山ラーメン『正善』でございます。

 

  和歌山と言いますと、もう二十年以上前に一度ドライブで海岸線を走ったことがあります。

 

 夜中に東名高速栗東インターで降りて、国道一号線から国道二十三号線を走って津、松坂を抜けて、伊勢神宮の駐車場に明け方に着きました。

 

 伊勢神宮にお参りをしてから、国道四十二号線で尾鷲に抜けたのでありますが、随分と狭い道を走った記憶があります。

 

 尾鷲から新宮へ向かい、那智の滝を見てから、那智勝浦で宿を探したのですが、どこも満室で、結局、名前は忘れましたが、小さな民宿のような宿に泊まりました。

 

 その宿は、どちらかと言いますと、私のような観光客相手の宿ではなく、工事関係の方が宿泊している宿で、夕食をその方たちと一緒に取ったのですが、みなさん普通の家庭の夕食のようなメニューに対し、私の御膳だけが豪華であり、なんだか美味しくもあり、そうでなくもあり、遠慮の塊で夕食を食べたことを思い出します。

 

 翌日は、白浜から和歌山を回って、大阪に入ったのはすでに日の暮れた午後八時くらいでした。

初めて走る大阪の環状線の勢いに田舎者の私はハンドルを握っているのが精一杯だったことを思い出し、やっとの思いで近畿道に出た時には、本当に命拾いをした気分でありました。

 

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 おみやげに頂いたラーメンの箱を見ながら、そんなことを懐かしく思い出しながら、さっそくラーメンを作りました。

 

 ラーメンの箱の裏に書かれております作り方の通りに作業を進めますが、具は箱には、チャーシュウ、メンマ、ネギなどとありましたので、その他にモヤシ、ゆで卵、かまぼこを用意いたしました。

 

 あとで知ったですが、和歌山ラーメンには、花の形をしたかまぼこを入れるのが、流儀だとか……?

 

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 などと言いながら、完成でございます。

 

 ネギはたっぷりと入れました。

 

 いただきまーす。

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 さっそく頂いたのでありますが、豚骨醤油のスープは見た目にはこってりしているようなのですが、意外にあっさりといただくことができました。

 

食べ終わってから気が付いたのですが、

 

「和歌山ラーメン」ではなく、

 

「和歌山中華そば」なんですね。

 

 

 

 

 

 

東京というところ-付録(遠い記憶のなかに)

 おはようございます。

 なんだかすっかり秋らしくなってきましたね。

 

 さて、アルバイトと学校で一日を過ごしていた神村少年ではありましたが、神村少年が東京で暮らしたいと思うようになったきっかけの『南こうせつかぐや姫』、そして『神田川』、はたまた『前略、おふくろ様』の世界への憧れを忘れてしまっていたわけではございません。

 

 神村少年は髪の毛を肩よりも長く伸ばして、ウエスタンシャツに、当時ベルボトムと呼ばれていました、裾が広がったジーパンを履き、覚えていらっしゃる方もおられると思いますが、ロンドンブーツと呼ばれていた、厚い靴底の靴を履いて街を歩いておりました。

 

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 おそらく当時の大人たちから見たら、最近の若い者は変な格好をしていると思われていたのではないかと思います。

 ですから、今でも若い人たちのファッションをいろいろと言う方がおられますが、私にはそれを言う資格はないと思っております。

 

 神村少年はフォークソングとロックに興味を持っていたのでありますが、ジャズにも何となく惹かれるものを感じておりまして、お金が無いくせに、ジャズ喫茶と呼ばれる喫茶店に出入りしていた者です。

 

 ジャズ喫茶と言いますと、なんだか敷居が高いのですが、新宿に『DIGDUG』と言う喫茶店は、比較的入りやすい喫茶店であり、時々珈琲を飲みに行ったものです。

 

 また、同じく新宿の紀伊国屋書店の裏辺りにありました『PITINN』は生の演奏が聞けたのですが、なんせ料金が……神村少年は店の前で漏れてくる音を聞いていたものです。

 

  

 いつだかは神村少年が憧れました『神田川』を探しに行ったのですが、高田馬場の駅の近くを流れている、毎日学校に行くときに見ていた汚い川が『神田川』であることを知った時には、何となく憧れていた女の子の見てはいけない部分を見たような残念な気持ちになったものでした。

 と言いますのも、神村少年の中では『神田川』という川は、『春の小川』のように、田舎の綺麗な水が流れている川を想像していたからであります。

 

 しかし、中央線の神田、水道橋あたりを流れる『神田川』に面したこところには、安アパートの窓が並んでおり、ああ、あの窓の内にはきっとあの歌の世界があるのだろうなと想像したものであります。

 

 また話は違いますが、御茶ノ水駅から神田明神、そこから上野方面に散歩した時などは、神田明神から坂を下っておりますと、何となく、そこら辺りを銭形平次が子分の八五郎を連れて歩いているように思い、また上野公園の近くで『無縁坂』という道標を見つけた時には、ああこれが『さだまさし』の『無縁坂』だと涙したものでありました。

 

 またいつぞやは、地下鉄の東西線に乗って木場まで行き、あの『前略、おふくろ様』に出てくる料亭『分田上』を探しに行ったことがありました。

 

 その頃、神村少年はドラマに出てくるところは実在していると信じていたのであります。

 

 しかし、木場の駅を出て、歩けども歩けども、ドラマで見たような風景は無く、もちろん片島三郎さんや岡野海さんに出会うこともありませんでした。

 

 こうして、何も知らない神村少年でしたが、東京という大きな都市の片隅で、神村少年はあこがれの世界を求めて、神村少年なりの世界観を持って小さな暮らしをしていたのでありました。

 

 遠い昔、東京というところで生活をしていた、一人の少年のお話でした。

 

 

東京というところ-11(遠い記憶のなかに)

 おはようごさいます。

 

 今週も何とか一週間頑張ることが出来ました。

今日はお休み、ゆっくり過ごしたいと思います。

 

 さて、昨日までお話いたしました、神村少年の東京生活は、お金はありませんでしたが、それなりに楽しく暮らしており、それなりに充実した日々を過ごしておりました。

 

 しかしそんな神村少年の東京生活も、やがて終わりを迎えることになります。

 

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 世の中には、自分の家庭のことは棚に上げて、他人の家のこととなりますと、土足で入り込んできて、なんとかただ酒を呑もうという親戚がいたりするものですが、神村少年の親戚にも、そのような出しゃばりジジイやお節介ババアがおりまして、神村少年のことについて、ああでもない、こうでもないと口やかましく言う、ジジイとババアがおりました。

 

 なんせ大学ならまだしも、インテリアデザイナーなどという将来の保証など無い、やくざな仕事を目指している専門学校(当時はやっと専門学校が認められ始めた頃でした)の学生なんて、口うるさい親戚の出しゃばりジジイやお節介ババアから見れば、親不孝者の大馬鹿者、そのうえ親戚の恥であり、そのうち「フーテンの寅さん」のようになってしまうのではないか、そうなると神村家の繁栄はないどころか、神村家は近いうちに滅亡の危機を迎えることになるであろうとの予言を信じて、大騒ぎをしているのでありました。

 

 また、神村少年が育ちました、山陰の田舎には大本家、本家、分家と言った階級制度がまだ根強く残っており、それは神様、人間、奴隷のようなものであり、本家の言うことは絶対、大本家の言うことに逆らおうものなら、切腹のうえ、お家お取り潰しになりかねないわけでありまして、神村少年を応援しておりました神村少年の母も

 

「お前の息子をこのまま野放しにしておいては、神村家を滅亡に追い込んでしまう。あの大馬鹿者を早く東京から呼び戻して、わしが世話をするので就職させなさい」

 

という、大本家のジジイに逆らえないのでありました。

 

 来年春には専門学校の卒業を控えた年の暮れ、冬休みで帰省しておりました、半ば強制的に地元の企業(この時、神村初年はこの会社が何をしている会社かもしりませんでした)の面接を受けさせられたのでありました。

 

 面接の結果は採用でしたが、条件として、年明けからすぐに働くこと、それならば採用する。当然、神村少年は

 

「あと三カ月で専門学校を卒業することが出来ます。それまで、今少しのお時間をいただきたい」

 

と申し入れたのでありますが、会社からは

 

「あいならぬ。年明けすぐに出社できぬのであれば、採用はない」

 

と言い渡れたのございます。

 

 これは、大本家のジジイが、会社の上役と懇意にしておりましたので、神村少年はそのジジイ達の策略にまんまと嵌ったのでありました。

 

 神村少年は、それ以上、天の声である大本家のジジイに逆らうことは出来ず、仕方なく冬休みが終わっても東京には帰らず、何をしているのかも知らない会社に入ることを決めたのでありました。

 

 神村少年が暮らしておりました下宿も、気が付けば面接の前からジジイは、親戚の若い者にトラックの運転を手配をして、すでに下宿を引き払う準備が終わっておりました。

 

 年末も押し詰まった、十二月三十日の夜、神村少年は、部屋の荷物をまとめて、引っ越しのトラックに一緒に乗り込んで、下宿を後にしたのでありました。

 

 トラックに乗り込んだ神村少年は、運転を頼まれた親戚の兄ちゃんに、あえて新宿を回る道を案内して、様々な経験をした歌舞伎町のネオンにトラックの中より別れを告げたのでした。

 

 このようにして、東京での生活が終わり、会社に入った神村少年ですが、その後四十年のあいだ、私はその会社で働いております。

 

 その後、仕事であるいはプライベートで何度か東京へ行くことはありましたが、新宿にも高田馬場にも行くことはありませんした。

 

 しかし、数年前にちょっとした仕事で東京に出張したことがありまして、その時、時間がありましたので、高田馬場に行き、アルバイトをしていたクリーニング店を探しましたが、見つけることが出来ませんでした。

 

 そして西部新宿線に乗って、下井草の駅で降りて、昔暮らしておりました下宿に行ってみたのですが、窓の下にあった大根畑に立った建売住宅は、そのままでしたが、下宿も大家さんの母屋も無く更地になっておりました。

 

 下宿のあった場所を後にした私は、今度は井荻の駅に向かいました。

 

そして駅前で、あの懐かしい「みかちゃん食堂」の暖簾を見つけた時、私の心の中に、東京での生活が蘇ってきたことを思い出します。

 

        おしまい。