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伯耆の國の御伽草子

お気楽気ままな高齢者のグダグダ噺

東京というところ-4(遠い記憶に中に)

 おはようございます。

 

 という訳で、神村少年は東京へ行きたいという願望を膨らませていたのでありますが、

 

 このような神村少年は、何となく何事にも積極的に取り組んでいく、行動派のように見えますが、実態は正反対でありました。

 

 神村少年はどんな少年だったかと申しますと、 

 

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 神村少年は世に言う、団塊の世代と第二段階の世代の間に生まれた子どもでありました。

 

 小学校の頃、前世が悪かったのか、どうしたものか、身長が伸びず、その反対に横幅が成長いたしまして、まあ、世の中では肥満児と分類される子どもでありました。

 

 そのような体格でありましたので、中学に入る時には身長百六十三センチ、これは自称でありまして、正確には百六十一センチしかなく、二センチほどサバを読んでおりました。それに対して、体重は七十キロ近くありました。

 

 そのような体格でありますので、当然、運動は大の苦手でありまして、体育の時間が大嫌い、明日が体育祭ともなりますと、近くの神社で雨ごいをする少年でありました。

 

 これは音楽のテストと同じ理屈でありますが、運動も生まれ持って来たものがあると思うんですよね。走るのが早いって、そりゃ練習で多少は早くはなるかも知れませんが、早い奴は早い、遅い奴は遅いって決まっているように思うんです。

 

 その生まれ持ってきたもので、優劣を決めるなんてひどいと思いませんか。

 

 それも体育祭なんて、みんなの前で、それも友達の家族も見ている前で、それ以上に憧れの女の子の前で無様な姿をさらさないといけないんです。こんなのひどいと思いませんか。

 

 余談ですが、体育祭になると、急に目立つ奴っていたと思いません?そうなんです、そういう奴って、学校指定のジャージとか着ていないんですよね。カッコいい、大手のスポーツ用品の会社のロゴが入ったジャージを着ていると思いませんか。私なんか、いつも学校指定の青や緑のジャージでしたよ。

 

 ああ……

 

 

 話を戻しましょう。

 

 また性格も、よく言いますと、大人しく、あまり人と接することのない、目立たない少年でした。

 

 まだその頃にはネクラとか、ヲタクといった言葉はありませんでしたが、友人も少なく、学校が終わると一目散に家に帰って、タミヤの戦車を凝りに凝りまくって作り続ける、今でいうところの、ネクラでヲタクの少年でありました。

 

 つまり、纏めますと、

 

 神村少年は、チビでデブで、音痴で、運動音痴で、ネクラでヲタクの少年でありまして、それがコンプレックスの塊、それはもう、ガチガチの岩石のような塊の少年でありました。

 

 そのような神村少年でありましたので、男女交際に憧れと願望は抱くものの、実は女の子に声をかけることはおろか、話をするなんてとんでもない憧れと願望なのでありました。

 

 そんな神村少年が中学二年の頃に聞きました『南こうせつかぐや姫』は、実際の神村少年には考えられない世界なのでありました。

 

 その当時、テレビでは確か「スター誕生」とかいう番組があり、中三トリオなどというアイドル歌手がいたのではありますが、神村少年はそのような華やかな世界には見向きもせず、フォークソングの暗く切ない世界に憧れたのであります。

 

 神村少年は『南こうせつかぐや姫』以外にも、『吉田拓郎』、『井上陽水』、『山本コータロー』などなどを聴きまくり、『ガロ』の『学生街の喫茶店』に憧れ、『ESP』の『さよなら』に涙していたのでした。

 

 そして、そのような世界に出てくる神村少年の姿は常に萩原健一(ショーケン)であり、自分の容姿は押し入れの中にしまい込んで、東京の街の裏路地をジーパンのポケットに手を突っ込んで、世の中の不条理に下を向いて歩く萩原健一のような神村少年の姿を想像していたのであります。

 

 そして神村少年はその夢を実現に移すべく、

ある日、母親に

 

「俺、一度、日本の首都を見てきたい」

 

訳の分からないことを告げたのでした。