伯耆の國の御伽草子

お気楽気ままな高齢者のグダグダ噺

東京というところ-3(遠い記憶の中に)

 おはようございます。

 

 今朝も眠い、どうして眠いのかを考えてみますと、私が朝活を「ねばならない」と取り組んでいるからではないかと思っております。つまり、やらねばならないと思う気持ちが、眠いのでないかと……わけないか?

 

 

 

 さて『神田川』に衝撃を受けて、私は青春時代の門を開いたのであります。

 私は『南こうせつ』を神様と崇め奉り、神棚に写真を飾って、庭には『南こうせつ』神社を建て、まあそんなことはしませんでしたが、とにかく『南こうせつ』信者となったのであります。『南こうせつ』の他にも、『吉田拓郎』『井上陽水』なども聴くようになっていきました。

あの頃、私は毎日毎日、時間があると『南こうせつかぐや姫』のアルバムを聞いておりまして、次第にその世界に憧れるようになっていきました。

 

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  名曲『神田川』の世界に憧れた私は、次第に『神田川』の曲の中で生活がしたいと思うようになりました。

 

 それはどういうことかといいますと、東京というところで、三畳一間のアパートで、窓の下には神田川が流れており、部屋には裸電球が揺れている、そして赤い手ぬぐいをマフラーにして風呂に行く。

 

  そんな生活がしたい。

 

 そう思うようになったのです。

 

 しかし考えてみると、風呂上がりの洗面器の中の石鹸箱の中で、おそらく濡れている石鹸が、カタカタとなるわけはないのではないかと思うのですが……

 

 まあとにかくそんな生活がしたいと思うようになったのでした。

 そのためには、何をさておいても、東京に行かねばならない。この田舎では、あの『神田川』の世界は実現しないと思うようになったのです。

 

 そして、それを後押ししたのが、以前書きました『前略、おふくろ様』の世界なのでした。

 『前略、おふくろ様』の主人公、つまり私の憧れのスター萩原健一が演ずる三郎が暮らしているアパートも狭いのですが、部屋の中には長火鉢があり、鉄瓶に湯が沸いている。なんともいいではありませんか。

 ただし、裸電球ではなく、蛍光灯だったような気がします。

 このドラマの私を東京に行きたいと思わせるのに十分でした。

 

 そしてもう一つ、私が憧れたものがありました。それは、

   同棲生活。

 

 皆さん同棲生活ですよ。

 

 何とも甘美な響きを持った言葉ではありませんか。といっても、今の皆さんには、私が感じていたような甘美な響きは感じられないかも知れません。

 

 私がまだ高校生だった頃は、女の子と付き合うことは、男女交際と呼ばれており、手でもつなごうものなら不純異性交遊などと、後ろ指をさされる時代でありまして、まして結婚前に関係を持つことは、婚前交渉と言われており、結婚前に男女が一緒に暮らすなんて考えられない時代でありました。

 

 そのような時代に青春の門を開いた神村少年にとって、同棲という言葉は、なんとも甘美で、淫靡で、魅力的な言葉でありました。

 おそらく今の若い方からしたら、何とも時代遅れの、

 

 「マジで~」

 

  と叫びたくなるような時代であったのです。

 

 同棲生活、そのような生活は、東京だから出来ることであって、この田舎では到底実現できるものではない、これは何としても東京に行かねばならないと神村少年は考えるようになったのでした。

 

 「東京に行きたい」

 

 親に話さないといけないのでありますが、その理由として、まさか東京で安アパートで貧乏な暮らしをして、そして同棲がしたいなどといえる訳がありません。

 

 しかし何としても東京に行きたい。神村少年はそのほとんどない脳みそをフル回転させて東京行の作戦を考えたのでした。

 

 当時の神村少年の頭の中は、ほぼ九割が女の子のこと、残りの一割は東京行大作戦のだったのであります。