伯耆の國の御伽草子

お気楽気ままな高齢者のグダグダ噺

今年もお盆の頃となりました。

 

 毎日、朝起きて洗面をしていると、窓の向こうに見える裏の神社の鳥居の前で、夏休みに入った子ども達が、ラジオ体操をしている様子が見えます。

 

 夏休みというと、麦わら帽子、虫篭に昆虫採集の網、ランニングシャツに半ズボン(私が子どもの頃は、短パンなどとは言わずに、半ズボンと言っていました)、碧い海に浮輪、入道雲と夕立、夏休みの友(同じく私が子どもの頃は、夏休みの宿題は、夏休みの友でした)、青々とした田んぼに蛙などを思い起こします。

 

 

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そして、お盆もまた夏休みの思い出の中にあります。

 

 今年も早いものでお盆をお迎えする頃となりました。お盆というと子どもの頃の我が家では、お正月と並んで一年の中でも大切な行事であり、また子どもの私にとっても、夏休みの中でも一番の楽しみな行事でありました。

 

 というのも、私は長い間、お盆はお祭りであると勘違いをしていたからです。

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 私は島根県の東の外れにある安来という小さな町で生まれ育ちました。

 

 安来の町は夏になると『月の輪祭り』というお祭りがあり、何台もの山車が町内を練り歩くのでした。今では多少寂しくなったようですが、私が子どもの頃は、それはにぎやかなお祭りでした。

 

 私は随分長い間、この『月の輪祭り』とお盆は同じものであると思っていました。というのは、お盆はみなさんご存じの通り、八月の十三日から十五日にかけての行事ですが、『月の輪祭り』は、そのお盆と重なるように十四日から十七日にかけて行われるお祭りであり、子どもの私はてっきりお盆と『月の輪祭り』は同じであると勘違いをしていたのでありました。ちなみにお盆と『月の輪祭り』が違うものであることを知ったのは、私が中学を卒業して高校生になった頃で、私は随分と長い間勘違いをしていたものであります。

 

 また、そのお盆の前には花市が開かれ、その花市も楽しみの一つでありました。

 

 安来の花市は、盆前の十一日に安来の海岸通りで開かれ、よく十二日には町の中の大市場という通りで開かれています。

 

 十一日の海岸通りの花市は、安来周辺の農家の方々が、海岸の通りに茣蓙を敷いてお盆の花を売っている、静かな花市でありましたが、それとは対照的に十二日の大市場通りの花市は、遠くの町からもスイカや桃などのお盆のお供えの果物を売る店、またたこ焼きなどの露店商の店が多く並び、夕方から深夜までにぎやかなお祭りのようになるのでした。大市場の通りは桃や種無しブドウ(最近では、デラウェアなどと洒落た名前で呼ばれております)の香りで一杯になり、私は今でも桃の香りを嗅ぐと、お盆を連想するのです。

 

 ですから、子どもの私にとっては、八月の十一日から十七日までは、お祭りであり、毎年夏休み最大のイベントなのでした。

 

 心も体も浮かれまくって、はしゃぎまくった私は『月の輪祭り』が終わると、夏休みがあと十日と残り少ないこと、それに反比例するかのようにやり残している宿題が山のようにあることに初めて気が付き、その日から夏休みが終わる八月三十一日まで、暗くつらい日々を過ごしたものでした。

 

 そんな、安来を離れて、もう二十年以上の時間が過ぎてしまいました。

 

 今でもお盆になると仏壇にお供えをし、墓参りにいきますが、子どもの頃と違って、静かな夏の行事となりました。

 

 今年もまたお盆の頃となり、ふと子どもの頃を懐かしく振り返ってしましました。安来を離れてからは一度も『月の輪祭り』には行ったことがありませんが、今でも心の中にあの町中を練り歩く山車の笛や太鼓の音が、夏になると聞こえているように思います。