神村肇埜の小説日記(クソジジイの奨め)
おはようございます。
昨日は朝起きることが出来ず、ブログの更新をお休みしてしまいました。
昨日も目が覚めるには覚めたのですが、どうしても布団から出ることが出来ません。よく考えてみますと昨日は月曜日でございます。ただでさえ起きれないのに、月曜の朝なんて、起きれるはずがありません。
これは世の中の多くの方々の同感を得るものでは無いかと思っております。
おそらく世の中のご同輩も同じ試練の一日をすごされたのでは無いでしょうか。
まあ、月曜の朝、元気一杯、今日も一日頑張るぞという人を、私はあまり見たことがございません。
それでも昨日は、仕事に行かねばなりませんので、六時過ぎにはおきまして、眠い目をこすりながら、朝の珈琲を飲んで、行きたくない仕事に行って、やりたくない仕事をやって参りました。
人はなぜ、行きたくないところに行って、やりたくないことを何十年もやり続けることが出来るのでしょうか?
これは若い人たちが時々ぶつかる問題、
人はなぜ働くのか?
に行きつくような問題であると思うのです。
私の同僚なども、月曜の朝というと、三途の河原を渡りそこねて、行き場所が無くなった者のような顔をして出勤してまいります。
私もかれこれ六十年近く、この三途の河原を渡りそこねているのであります。
いっそ渡ってしまってはというご意見もあるかとは思いますが、まだまだ渡るわけには参りません。
と申しますのも、私の人生の楽しみは老後でありまして、これからが私の青春であると思っておるのであります。
定年を迎えましたら、後はもう自分の時間しかございません。こうして思いつくままにいろいろな事を書きたいと思っておりますし、まだまだ挑戦してみたいこともございます。
なりたいものもございます。
何になりたいかと申しますと、まずは嫌われ者のクソジジイになりたいと思っております。他人様に何か言われた時に、
「ああ、そうですね、ごもっともなご意見と思います」なんて口が避けても言いたくありません。必ず
「あなたは、そうおっしゃいますけどね」
となんだかんだとケチをつけるクソジジイになりたいのであります。
しかし、そのような文句をダラダラというにも、屁理屈ではいけません。必ず相手が
「そうか、このクソジジイのいうことも一理ありだな」と思わせないといけません。
そしてそのためには、私自身が、それなりに知識を持っていないといけないと思うのであります。そうなのです、クソジジイになるためには勉強が必要なのであります。
人のいうことにいちいちケチをつける。それも屁理屈ではなく、それなりに納得出来る理屈をこねるクソジジイになりたいと思っているのであります。
私が思うクソジジイの道は険しいのであります。
ですので、簡単に三途の河原を渡るわけには行かないのであります。
私の第二の青春はもう其処まで来ているのです。
この歳でありますから、女性に関してはもう何もできないとは思いますが、バラ色の老後に向かってGO、なのであります。
どうですかね、青春という言葉があるのですから
老春
があってもいいのではないでしょか。
えっなに、お前の場合は
老秋、または老愁ですって、
そんなもんはまだいい、お前の場合は
老終だ!
そんなひどいことを言わないでくださいまし。
私は老後に夢を持っていたいのですから。
しかし、それと二番寝は関係無いですよね。
まず、バラ色の老後のためには、この弱い精神を鍛え直して、朝起きる元気を身につけないといけないと思う、今朝なのでありました。