神村肇埜の小説日記(クリームシチューを作ったど~)
本日は調子に乗って、これで三回目の記事の更新になります。ご迷惑かもしれませんが、今しばらくおつきあいください。
皆様は、乳製品はお好きでございますか?
私は、小学校の頃から、どうも乳製品が苦手でありまして、私が小学校の頃の給食と言いますと、今のように牛乳ではなく、ミルクでありました。
私はそのミルクが大の苦手でありまして、いつも残していたのでありますが、私が小学校の頃は給食を残すなんて、なんてわがままな行い、たとえ算数の九九が言えなくても、国語の教科書が読めなくても、給食だけは残さず食べなさいという時代でありました。
よってミルクが飲めない私は、非国民扱いであり、いつもお昼の休憩が終わるまで、給食を全部食べ終わるまで、机に座らせられていたものであります。私の小学校の昼休みは、ミルクとの闘いの毎日でありました。
その上、その上ですよ、時にはシチューなどが給食で出たりしていたのですが、決してビーフシチューではなく、必ずと言っていいほど、クリームシチューでありました。
クリームシチューのが出た日には、私にとって天敵が、あるいは悪魔が二匹出てきたようなものでございまして、空は黒くかき曇り、稲妻が鳴り響き、嵐のような風が吹きまくっている地獄の釜の中に一人叩き込まれたようなものでして、五時間目が始まりましても、私の机には、ミルクとクリームシチューが入った食器が乗ったバットが置かれており、私はそのバットを、にらみつけているのでした。
しかし、思い出してみますと、そのような苦しみを味わっていたのは、私だけではなく、教室の中には、他にもいたような気がしております。つまり乳製品が不得意は者は、私一人ではなかったと思うのであります。
でも、友達の中には玉ねぎが大嫌いな友達もいまして、給食当番は玉ねぎの入った料理、確か今でいうミネストローネのような料理が出ると、決まってその友達の食器には、玉ねぎをたくさん入れたものでありました。
よって、その友達は、五時間目になっても、玉ねぎと、にらっめっこをすることになるのでありました。
だいたい玉ねぎが嫌いという友達はそんなにいなくて、玉ねぎ嫌いはそいつ一人でありましたので、彼はいつも孤独な闘いをしないといけないのでありました。
今では、そのようなことをすれば、すぐにいじめと言われるのでしょうが、私が小学校の頃は、そのようなことを言われることもなく、玉ねぎが嫌いな友達を、自分の乳製品嫌いは棚に上げて、わーい、わーい、とはやし立ててていたのを思い出します。
さて、なんでこんなことをお話しているのかと申しますと、実は昨晩、私はクリームシチューを人生で初めて作ったのであります。
我が家で乳製品が嫌いなのは、実は私だけでありまして、カミさんも、就職した娘もクリームシチューやグラタンが大好きなのであります。ですからよく夕食にはそのような料理が登場していたのであります。
そのような状況では私が食べる物が無いのではと、心配していただく方もおられるとは思いますが、なに、誰もいないって……ご心配は無用でございます。
ちゃんと私には別に酒の肴を用意しておけば、何も言わないことを、カミさんは心得ておりますので……
娘が就職して家を出てからは、カミさんも私に気を使ってか、クリームシチューやグラタンを作らなくなっておりましたので、それでは悪いと思って昨晩は生まれて初めてクリームシチューを作ったのでありました。
始めてのクリームシチューではありましたが、カミさんには非常に喜ばれまして、安心いたしました。
実は、本当のことを申しますと、このクリーム系の料理で美味しいと思って食べたものがあります。それは昔東京で暮らしておりました頃に、新宿の『アカシヤ』という洋食屋さんのロールキャベツを食べたことがるのですが、それが確かクリームシチューの中に入っていたように記憶しておりまして、そのロールキャベツは大変美味しくいただいた記憶がございます。
まあ、いつも腹をすかしておりましたので、なんでも美味しく感じていたのは確かなのでありますがね。
では、この辺で、さいなら。