東京というところ-付録(遠い記憶のなかに)
おはようございます。
なんだかすっかり秋らしくなってきましたね。
さて、アルバイトと学校で一日を過ごしていた神村少年ではありましたが、神村少年が東京で暮らしたいと思うようになったきっかけの『南こうせつとかぐや姫』、そして『神田川』、はたまた『前略、おふくろ様』の世界への憧れを忘れてしまっていたわけではございません。
神村少年は髪の毛を肩よりも長く伸ばして、ウエスタンシャツに、当時ベルボトムと呼ばれていました、裾が広がったジーパンを履き、覚えていらっしゃる方もおられると思いますが、ロンドンブーツと呼ばれていた、厚い靴底の靴を履いて街を歩いておりました。
おそらく当時の大人たちから見たら、最近の若い者は変な格好をしていると思われていたのではないかと思います。
ですから、今でも若い人たちのファッションをいろいろと言う方がおられますが、私にはそれを言う資格はないと思っております。
神村少年はフォークソングとロックに興味を持っていたのでありますが、ジャズにも何となく惹かれるものを感じておりまして、お金が無いくせに、ジャズ喫茶と呼ばれる喫茶店に出入りしていた者です。
ジャズ喫茶と言いますと、なんだか敷居が高いのですが、新宿に『DIGDUG』と言う喫茶店は、比較的入りやすい喫茶店であり、時々珈琲を飲みに行ったものです。
また、同じく新宿の紀伊国屋書店の裏辺りにありました『PITINN』は生の演奏が聞けたのですが、なんせ料金が……神村少年は店の前で漏れてくる音を聞いていたものです。
いつだかは神村少年が憧れました『神田川』を探しに行ったのですが、高田馬場の駅の近くを流れている、毎日学校に行くときに見ていた汚い川が『神田川』であることを知った時には、何となく憧れていた女の子の見てはいけない部分を見たような残念な気持ちになったものでした。
と言いますのも、神村少年の中では『神田川』という川は、『春の小川』のように、田舎の綺麗な水が流れている川を想像していたからであります。
しかし、中央線の神田、水道橋あたりを流れる『神田川』に面したこところには、安アパートの窓が並んでおり、ああ、あの窓の内にはきっとあの歌の世界があるのだろうなと想像したものであります。
また話は違いますが、御茶ノ水駅から神田明神、そこから上野方面に散歩した時などは、神田明神から坂を下っておりますと、何となく、そこら辺りを銭形平次が子分の八五郎を連れて歩いているように思い、また上野公園の近くで『無縁坂』という道標を見つけた時には、ああこれが『さだまさし』の『無縁坂』だと涙したものでありました。
またいつぞやは、地下鉄の東西線に乗って木場まで行き、あの『前略、おふくろ様』に出てくる料亭『分田上』を探しに行ったことがありました。
その頃、神村少年はドラマに出てくるところは実在していると信じていたのであります。
しかし、木場の駅を出て、歩けども歩けども、ドラマで見たような風景は無く、もちろん片島三郎さんや岡野海さんに出会うこともありませんでした。
こうして、何も知らない神村少年でしたが、東京という大きな都市の片隅で、神村少年はあこがれの世界を求めて、神村少年なりの世界観を持って小さな暮らしをしていたのでありました。
遠い昔、東京というところで生活をしていた、一人の少年のお話でした。