伯耆の國の御伽草子

お気楽気ままな高齢者のグダグダ噺

お前も役立たず

 今年もまたお盆を迎える頃になりました。お盆といっても、親戚の少ない我が家は、親戚に出かけることも、親戚が来ることも無く、毎年静かな三日間を過ごします。

 でも私はこの季節なると、いつも久藻嶋君のことを思い出すのです。

 そう、もうあれから二十年近い年月が過ぎました。しかし、久藻嶋君のことを私は忘れることはありません。

 その日も今日のように暑い日だったように思います。

 私はその当時、日洋鍛造株式会社、阿野余野工場で働いておりました。

 日洋鍛造株式会社は社員三百名ほどの小さな会社で、本社と営業は大阪にあり、社長以下三十人ほどで機械メーカーを中心に営業を行っていました。

 そして工場はというと、鳥取県阿野余野市阿野余野町にあり、鍛造から機械加工までを行っておりました。

 

 当時、私はその日洋鍛造株式会社 阿野余野工場の生産管理課進行係りの係長を任されておりました。

 生産管理課 進行係は、工場で作っている製品の進捗の管理が主な業務でありましたが、はっきり言って、生産管理課の雑用係りのような職場でありました。

 

 工場は三交代で、盆休みと正月休み以外は稼働しておりましたので、生産管理をしている者には昼夜、休みはなく、その生産管理課の雑用係りの私達は一年中休むこと無く工場で仕事をしておりました。休めるのは工場の可動が止まる、盆休みと正月休みくらいなものでした。ですが仕事と申しましても、生産管理課員の指示で、職場から職場へ製品を持ちまわったり、下請けから機械加工の終わった製品を受け取って来たりと、誰でも出来ることばかりでございました。

 ですので、配属になっている者も、どちらかと申しますと、役に立たない、落ちこぼれ社員が多く、係長の私の下には、四人の部下がおりましたが、四人とも何処の職場でも役に立たない、役立たずのお荷物社員でありました。

 

 久藻嶋君は地方の国立大学を卒業しており、私よりも六歳年上ではありました。本来ならば我が社エリート社員のはずでしたが、何処の職場でも役立たずで使い物にならず、高卒の私の部下として配属になってきました。

 久藻嶋君が私の元に配属になった時は、大卒でもあり、それなりの仕事を期待していたのでありますが、その無能で、役立たずぶりは、他の三人を引き離しており、私も久藻嶋君の扱いに少々疲れを感じておりました。

 はっきり申しまして、こんな奴いなくなればいいのにと思っておりました。

 そんな私たち雑用係にも事務所の中には机がありましたが、仕事は現場に出ていることがほとんどでしたので、机に向かって仕事をすることは無く、机に向かうのは一日の仕事が終わって残業に入ってからがほとんどでした。久藻嶋君の席は私の隣だったのですが、並んで仕事をすることはほとんどありませんでした。

 

 久しぶりに何も用事のお盆休みの朝のことでした。

 

 夏の朝は早いと申しましても、午前四時半、まだ私は寝ておりましたが、総務部長からの電話で叩き起こされたのでございます。

 電話は、久藻嶋君が昨晩から行方が分からない、すぐに工場に来て欲しいという内容でした。私は良く状況がつかめないまま、稼働の止まっている工場に向かいました。

 事務所の会議室に入りますと、すでに総務部長と生産管理課長が私を待っておりました。

 私が席に付きますと生産管理課長が、久藻嶋君が昨晩友人と魚釣りに出かけたのであるが、行方が分からなくなったと友人が警察に届けて来た。現在、地区の漁師の助けを借りて、釣り場周辺の捜索を行っている。最悪の場合も想定して置かないといけないと話してくれました。

 

 久藻嶋君が行方不明?

 

 そんな、私は昨日の夕方のことを思い出しておりました。

 

 実はいつも疎ましいと思っていた久藻嶋君とは、ゆっくりと話をしたことが、今まで一度もありませんでした。それが昨日の夕方、今から思えば不思議なのですが、二人で子どもの頃の話をしたのでした。

 工場の一日の可動が終わった定時の休憩時間のことです。

「久藻嶋さん、お疲れ様。今日も暑い一日でしたね」

「はい」

「ところで、久藻嶋さんの家は何処ですか?」

「はい、ボクはこの三途川の大橋のたもとの大橋町ですよ」

三途川は町の西のはずれを流れる、町で一番大きな川のことです。

「ええ、久藻嶋さんは、大橋町ですか。私はその隣の仲町ですよ」

「えっ、仲町!近所じゃ無いですか」

「えっと、久藻嶋さんとは確か六つ違うから、小学校でも一緒にならなかったから、今まで分からなかったんですね。いやあ、大橋町ですか?じゃあ、三途公園で遊びました?」

「ええ、毎日のように遊んでましたよ。三頭係長も?」

「だって、子どもころの遊び場といったら、公園しか無かったですからね。じゃあ、三途の柳でも遊びました?」

三途の柳は、三途公園の隅にあった大柳で、私たち子どもたちは、柳の木に登って遊んだものでした。

「遊びました、遊びました。毎日のように登ってましたよ」

「おかしなもんですね、近所なのに今まで知らなかったなんて、久藻嶋さんは、今日はまだ終らないんですか?」

「ええ、もう少しやらないといけないことがあるので……」

「お盆休みは、どうされるんですか?」

「特に予定は無いのですが、今晩は魚を釣りに行こうと思っています」

「そうですか、じゃあ私はこれで帰ります。お盆です、気を付けて行って来て下さい。お疲れ様」

「お疲れ様でした」

 昨日の夕方、私と久藻嶋君は、そんな小さな頃の話をして別れました。確かに魚を釣りに行くとは言っていたのですが……

 

 しばらくして、久藻嶋君の死体が見つかったという知らせが総務部長の元に入って来ました。久藻嶋君は釣り場からそう遠くない海の底に沈んでいたようです。おそらく一人で魚を釣っていて、波に足を取られたのだろうということでした。

 

 その日はなんだかんだと雑用をこなして、久藻嶋君の自宅を訪れたのは、翌日の夜になってからでした。久藻嶋君のご家族に一通りのお悔やみを言って、仏様にお線香を上げてから、ご家族に最後のお別れをしたいと申し出ました。しかし、ご家族の方は何となく気が進まない様子です。ちょっと不思議に思いましたが、再度、お願いをしたところ、それではと棺桶の蓋をずらしてくれました。すると

 

 私は、声が出そうになったのを、必死で抑えたことを覚えております。棺桶の中の久藻嶋君の姿は……

 以前から、水死した人の姿は見られたものでは無いとは聞いていましたが……

 

 久藻嶋君の顔は何処が目で鼻かも分からいくらいに膨れ上がり、その色は、なんと言ったらいいのでしょうか、赤紫……それも鮮やかな赤紫では無く、鈍く濁ったと言いましょうか、なんとも言えない色でした。その顔は生前の久藻嶋君の顔では無く、まるで山門の仁王様が棺桶に入っているようでした。

 私はさっと手を合わせると、早々に久藻嶋君の家を後にしたのでした。

 

 私はそれから何日も棺桶の中で眠る久藻嶋君の顔を忘れることが出来ませんでした。

 

 そして、久藻嶋君がいなくなればいいのにと思っていた事を恥じていました。

 

 今でも、お盆になると、あの時のことを思い出すのです。

 

 そしてこの後、不思議なことがありました。

 

 久藻嶋君が無くなって、初めてのお盆休みが終わった頃だったと思います。

 

 その日もなんだかんだと言われて忙しい一日でした。当たり前のように残業です。やっと仕事を片付けて、そろそろ帰ろうかと思った時には、事務所の中には私一人になっておりました。仕事で帰るのが一番最後にんるのはいつものことでしたので、私は特に気にすることもなく、事務所の電気を消して、事務所内の電気が全て消えていることを確認してから、事務所の鍵をかけて外に出ました。工場の駐車場まで来た時のことです、私は免許証を机の引き出しに入れたままにしていることに気が付きました。

 しまったと思いましたが、仕方がありません、私はもう一度事務所に帰ることにして、事務所の前まで戻ってきた時のことです。私はなんとも言えない、ぞっとする悪寒を感じたのであります。なんだか嫌な感じと思いながら、事務所の鍵を開けようと、ドアノブを握って事務所のドアのガラス越しに中の様子を見ました。当然、電気を消した事務所の中は真っ暗です。

 工場の事務所です。ドアの向こうに簡単な衝立があって、その向こうはワンフロアの事務所で、机がそれぞれのセクション毎に並んでいます。

 私たち生産管理課の席は事務所の一番奥にありました。

ふとその生産管理課の席を見ると、なんと言ったらいいのでしょうか、真っ暗な事務所の中で奥の方がぼんやりと明るいのです。私はさっき電気を全部消したのを確認してから、外に出たはずだったのですが……消し忘れがあったのかと思いました。

 しかし、なんと言ったらいいのでしょうか……明るいと言っても電気がついている明るさでは無いのです。何となくボーッと、底だけが青白くなっている感じなのです。

 そしてその場所が、さっき私が仕事をしていた席であることに気が付きました。いや性格に言うと私の席では無く、私の席の隣の席が何となく明るいのです。

 実は私の隣は久藻嶋君の席がそのままになっていました。何度かその席に別の人を座らせる話があったのですが、亡くなった人の席で、皆が座るのを嫌がって誰もその席を使ってはおらず、空席となっていたのです。

 その席の辺りが、かすかに青白くなっているのです。そして衝立の横からさらに様子を見てみると、その席に誰か座っているように見えました。

 私は背中に水を掛けられたように、恐怖を感じました。もう免許証などどうでも良くなっていました。私はまた事務所に鍵をかけると急いで駐車場の自分の車まで戻ると急いで車に乗り込んで、エンジンを掛けました。

 早く家に帰らなければ、私はなんとも言えない恐怖の中で車を走らせました。

 

 もう少しで家というところまで帰って来ました。あの角を回ると私の家です。

 

 私は何気なく、バックミラーをみました。すると……

 

 後ろの席に、あの仁王様のようになった、赤紫色の顔があったのです

 

 そして、こう言ったのです。

 

「お前も役立たずの一人だよ」