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伯耆の國の御伽草子

お気楽気ままな高齢者のグダグダ噺

老後の楽しみ

 朝、六時過ぎに目を覚ましてしばらくすると、いつものように歯磨きをするために洗面所に行く。歯ブラシに歯磨き粉を付けて歯磨きを始めると、洗面所の窓から外を見る。窓の外には青々とした田んぼが広がっており、その向こうにこの地域の氏神様の神社の森と鳥居が見える。夏の朝の太陽に照らされた田んぼは緑色が光って見える。その向こうの神社の鳥居も夏の太陽の中にあった。

 六時半が近くなると近所の子どもたちが鳥居の前に集まってくる。今は夏休みなのでこの辺の子どもたちは神社の鳥居の前で朝のラジオ体操をするのだ。

 六時半になると、子ども立ちが手を大きく回してラジオ体操が始まる。やがて体操を終えた子どもたちはまたそれぞれの家に帰って行く。

 

私はその様子を見ながら、ああ毎日ラジオ体操に通っていた子ども頃を思い出す。もう私はラジオ体操に行くことはないが、懐かしい思い出である。

 

 あれから、もう五十年近い時間が過ぎた。自分がすっかり歳を取ってしまったことに気がつく。

 もうすぐ定年を迎える。人はどうか知らないが、私は定年後の生活をとても楽しみにしている。だって考えてみて欲しい。四十年前に今の会社に入って依頼、毎日は仕事、仕事の繰り返しだった。朝は人より早く出社し、夜は誰よりも遅く帰る。休日もなんだかんだで会社に行く。毎日、毎日働き続けた。いや、まだ働き続けている。

 私には趣味と言うものが無い。断って起きますが、私はいろんなことに興味がないわけではありません。子どもの頃は何にでも興味を持って、プラモデル作りや、切手の収集、夏になれば昆虫採集に植物観察、ちょっと大きくなると、読書に音楽、何でもすぐにやって見る方だった。

 しかし仕事を仕出してからというもの、趣味と言える物を持ったことが無い。確かに仕事を仕出してからも、いろんな物に興味を持った。しかし、いつも、いやいやこんなことをしていては行けない。仕事が一番と思って手を出さなかった。強いて言えば、毎日の晩酌が趣味かも知れない。

 

いや晩酌と言っても、酒や肴に凝るわけではなく、ただ酔えば良いという晩酌なのであるから、到底趣味とは言えない。

趣味も何もない私なのであるが、私の定年後の計画は今現在のところ、何も無い。

 

全く無い。

 

 だいたい、世の中の話をまとめて見ると、一部もお金持ちの方々をのぞいて、定年後というと不安だらけである。まず第一に経済的な不安がある。仕事が無くなるのであるから、当然収入源が無くなる。しかし生活していくには当然お金が必要。確かに年金というものがあるにはあるが、どうやら生活費の足しにもならないらしい。

 次に老化の不安。当然のことなのであるが、歳を取れば体力もなくなるであろから、若い時のような無理も聞かなくなるに違いない。また年齢とともに病気のリスクも高くなっていくに違いない。老後の健康に関しての不安、お金持ちの方々も一緒に違いない。だからテレビを観ていると様々なサプリメントのコマーシャルをやっている。やっぱり健康に関しての不安につけこんだビジネスに違いないのだ。

 そして痴呆の不安。痴呆も健康関連かとは思うが、何か違うようにも思う。だって身体は健康だけど、痴呆になってしまった方を私は知っている。これがまた手に負えない。だって身体は丈夫だから、何処でも行っちゃう。何処でも行っちゃうけど、自分の帰るところがわからない。みんなで捜索が始まる。また自分の時間で生活しているので、目が覚めた時が一日の始まり。夜中だろうが関係無い。家族はその時間に合わせないと行けない。すっごく大変らしい。ということで、痴呆の不安がある。これもお金持ちの方も一緒だと思う。

 

 という風に、老後には何かと不安な要素はたくさんあるのではあるが、私はそれ以上に何も無いという楽しみの方が大きい。これから(定年後)は自分の時間がたくさんあるのだと思うと、なんだかウキウキしてくる。

 

 ということで、私は定年後に何をするか、今から考えているのである。

 

 まずいちばんやりたいことと言うと、ものを書くことである。ものを書くというと今でも出来そうでは無いかと言われる方もあるでしょうが、今は本当に僅かな時間を作っては、少し何かを書く程度である。私がもっとも楽しみにしているのは、何時でも何かを書くことが出来る時間が出来ることである。朝起きた時、昼飯を食べた後、昼寝から目覚めた時、晩御飯の後、気の向いた時に書きたいものを書く。これ以上の楽しみは無いように考えている。もっとも体力に自信が無く、小さな頃から運動嫌いの私は、ウォーキングなどのスポーツに関することには全く興味が無い。それに最近老眼が進んで、模型作りなどの細かい作業も難しいと思う。そうなると、何となくものを書くことが一番私に合っているように思うのである。

 

 まあ、ものを書くことを楽しみにしようと考えてはいるが、特に何が書きたいというわけではない。強いて言えば、小説が書いてみたいと思っている。

 

 断っておきますが、私は小説でご飯を食べようなんて考えているわけではありません。ただ私の書いたものを誰かが読んでくれたらいいなと思っているのであります。でも人に読んでいただかないといけないので、多少は勉強や練習が必要かと考えたわけであります。

 

 だから、私は今から、とにかく何かを書く練習をしようと思ってブログを始めたのである。

 

 しかし、何かを書くことがこんなに難しいこととは思わなかった。

 

 まず、私は『猩々の乱』を書き始めて見た。しかしすぐに頓挫してしまった。当然といえば当然かも知れない。だって所謂プロットなどというものも無く、あらすじさえも考えていなかったのであるから。

私は物語は書き始めれば、何とか書けるのではないかと思っていた。だいたい、物語を書くにはプロットというものが必要であることを、『猩々の乱』を書き始めて、初めて知った。

 

『猩々の乱』は“そのさん”まで書いて頓挫した。

 

 だいたい始めっから長い物語を書こうというのが無理なのだ。そこで短い物語をまず最後まで書いてみようと考えて『ボクは選ばれた人間』を書き始めた。このお話は、私は親戚の子の就職活動をみていたので、そのことを書かせてもらった。時間はかかったけれど、何とか最後まで書いた。まあ『ボクは選ばれた人間』は内容がどうのこうよりも、最後まで書いたことで満足した。

 

 次に現在『鬼の噺(桃太郎異譚)』を書き始めている。

 

 しかし、しかしである。またあまり物語に関して考えずに書き始めており、それにまだ仕事の合間で書いているので、要として進まない。小松太さんが博打で大負けさせたのだが、この後、私は小松太さんを殺してしまおうと思っている。その後のことはまだ考えていない。

 

 このような調子なので『鬼の噺(桃太郎異譚)』のスピードも恐ろしく遅いのである。でもこれが私の定年後の楽しみの予行練習だと思いながら楽しんでおります。

 

 まあ、定年までにはまだ二年近い時間が残っているので、少しずつ勉強しながら、今後も書いていきたいと思う、今日の午後なのでした。